一泡沫オタクの戯言

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雑記;常識という言葉

 少し哲学めいた話題をしよう。私は常々世に蔓延っている「常識」というもの、その言葉自身に疑ってかかる姿勢がある。まず「常識」の熟語の中に「常」と言う文字があり、「いつもと同じ。変わらないで長く続く」と言った意味を含んでいる。一方、この俗世には「諸行無常」という概念はあり「この世の中のものは変化・生滅してとどまらない」という意味がある。これは「常識」という概念と「諸行無常」という概念、二律背反ではないかと言うのが私の考えだ。

 

 私のあるエピソードをここで話させていただきたい。このコロナ禍以前、飲食店で業務を行なっていたのだが、「従業員がマスクをつけている」これだけでクレームが来ていた。責任者の許可を得たうえでなら許可はされていた(喘息がある、風邪を押しての出勤等……本来休むべきだが)。しかしどうだろう、新型コロナウィルス感染拡大すると、飲食店の従業員はおろか、街を歩く人でさえマスクは必着というものになった。社会情勢一つでコロッと約180°変わってしまった。いつもと同じ?変わらないで長く続くものだろうか?

 

 常識という言葉の意味である「いつもと同じ。変わらないで長く続く」事象といえば、「太陽が東から登って西へ沈む」「水は常温常圧で100℃で沸騰し、0℃で氷る(一度過冷却状態に入るが)」などといった普遍のことくらいだろう (ここで「地球は太陽の周りを周る」と言う例を挙げる人がいると思うが待ってほしい。天動説はいわば一つの計算法で、地球を宇宙空間の原点に起き天体を数学、物理を用いて月や星の動きを予測するやり方で、月食や日食などの予測も実際的中させていた(計算法は複雑だが)。その主張はケプラーの法則に従い、太陽を原点に置いた時綺麗に法則がまとまるといったものだ)。

 とはいっても「太陽は東から登って西へ沈む」という普遍的なものに見える主張、地球を中心に見ていると言う点では地動説を唱える人が言うと少し変に思える。地動説はいわば、太陽を原点に置いた地球の動きを観測したケプラーの法則を基に主張したものにすぎないのだ。

 

 話が横道に逸れたので戻そう。まあもっとも、「常識」という言葉の意味自体「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。」とある。つまり、「常識」と言うものは「社会が決め、正しいか否かは社会が決める」といったものだ。社会が変われば、常識も共に変わり、それまで常識とされてたものは「古い考え方」とされる。

 

 私がここで言いたいのはそんな常識にすがるのではなく、「常識」という「偏見」は捨てた上で自分の頭でじっくり考え行動に移すべきだということだ。

 何?考える引き出しがない?知識がない?なら勉強すれば良い話ではないか。なにも、モノを学ぶ、研究すると言うのは最終的に大学院博士課程で終わるものではなく、学ぶ意志さえあればいつでもできることだろう。